若い先生方へ

 私が、中学校で教師をしていた時や塾で教えていた時に、生徒たちによく言っていた言葉を書いておきたいと思います・・・・・。 
  
塾の授業の時、私が「もっと頑張れよ。」と言うと、「頑張っているよ!」という返事が返ってくる。生徒のみんなからすれば、試験前の大事な時期だからこそ
 一生懸命頑張っているのだから『もうそれ以上言わないで』という気持ちなのだろうけれど、私からすれば不満で仕方がない・・・・。10代の今が一番伸びる
 時期なのに、自分の可能性の壁を突き破って大きく前に進めるときなのに、力を出し切らないなんて、ものすごくもったいない気がする。私は人間の能力に、
 そんなに大きな差なんかないと思っている。この時期にどこまで全力を出し切れるかどうかで決まってくるのだと思う…。
  わずか13歳か14歳で「自分はこのくらいしか頑張れそうもない・・・・・」なんて思ってほしくないのです。


勉強ができるようになりたい・・・・。

どうやったら勉強ができるようになるのか、私なりの考えを書いてみたいと思います…。
 @ たくさん失敗し、たくさん間違えること。
 有名なノーベル科学賞の受賞者の記事を読むと、何回も何回も失敗してはじめて大きな発明、発見をしたと書いてあります。
バスケットボールのスーパースターのマイケルジョーダンはほかの選手の何十倍もシュートを失敗したと自分の本に書いています。
 間違えたり、失敗することをこわがったり、恥ずかしがっていては勉強は伸びていきません。
正しい答えだけを覚えようとしても、すぐに忘れてしまうものなのです。自分で間違えて、それを自分で訂正してはじめてしっかりと自分のものになっていくのです。だから、すぐに正解を教えてもらうことだけを考えるのでなく、自分で苦労して正解を見つけ出す努力をしてください。それが自分自身をうんと大きな人間にしていくのです。
   
 A 自分の可能性を信じること。(うぬぼれを持ち続けること)
    
そして大切なことは、自分を信じることだと思います。 一度や二度失敗したくらいで自分をあきらめたり、投げ出したりしないでください。誰だって100点を取れる力があるのです。あきらめないで努力を続ければ必ず成績は伸びていきます。
「もう、いいかあ!」って考えると、自分が楽(らく)になるということは確かにあると思います。
時には気持ちを楽にしてみるということも大切だと思いますが、いつもいつも楽ばかりしようとしていたらその人の人生はどこに行ってしまうのでしょうか?その人の価値はどこに行ってしまうのでしょうか?どんな人だって、それぞれが無限の可能性と素晴らしい価値を持って生まれてきているのだと思います。その生きている価値を無駄にしてほしくありません。自分を役立てる場所がきっとあるんだ!自分が輝けると気がきっとあるんだ!ということを信じて、今ぶつかっている問題に正面から取り組んでいけば、絶対にできるようになります!!だから、「もういいかあ!」という気持ちは捨てましょう!!

 B わからなかったり、つまずいたら、すぐに質問すること。
  
わからないところを絶対にそのままにしないでください。誰だって、つまずいたり、こんがらがったりするものなのです。
 そんな時、すぐに周りの人に聞いてみることが大切なのです。つまらないプライドは捨てましょう。
 「わからない」ということは決して恥ずかしい事ではありません。「わからない」ことをそのままにしておくことが、恥ずかしい事だと思い  ます。自分が納得するまで、繰り返し繰り返し、質問していきましょう。

 C たくさん問題を解くこと、たくさん書くこと。

    大切なことは、やはり時間をかけてコツコツと努力することです。私は高校時代数学の先生から、『同じ問題集を最低3回はやってみなさい。』と
  言われました。一度目は、わからない問題の答えを丸写ししました。二度目になると、答えを見なくても、なんとなく途中までは解けるようになりました。
  そして、三度目は自力で何とか解けることができました・・・・。
   私の考えは、『勉強は、質より量』です。どうしたら能率よくべ覚えることができるかなんて考える前に、とにかくがむしゃらにやっていけば、自分なりの
  勉強法を見つけることができるようになると思っています。


勉強が出来るようになるにはどうしたらよいのだろうか・・・・。ぼくなりの意見を書きたいと思います。一つ目は、自信を持つこと、すぐに、「自分なんかどうせダメだ!」と決して言わないこと。本心でなくて友達や他人の前で謙遜するためにも決して言わないこと。「ダメ」と言っていると本当にダメになってしまうものなのです。意地を張ってでも、「自分には絶対にできる。」と言い張りながら頑張る人が僕は好きです。

二つ目は、他人をバカにしないこと、自分より下の人を何とかして見つけ出してその人の悪口をいうことによって安心しているような人間が大きく伸びていくはずがありません。いつでも上を見て、自分がまねをしたいような人間を探そうと言う気持ちを持ってください。誰かのことばに、「人間、我以外みな師」というのがあります。自分以外のすべての人から何かを学び取っていこうという気持ちが大切です。

三つ目は、繰り返すこと。ボクシングでも格闘技でも、あるいはほかのスポ−ツの試合でも繰り返し練習しない者はかならず負けるとぼくは思っています。繰り返し繰り返し書き続ければ誰だってかならず覚えられるものなのです。一つのことを

四つ目は友達に教えてあげること。これはぼく自身の経験なのですが、これが一番要領のいい勉強方法だと思いました。中学時代数学が一番好きだったので、試験前になると、よく友達に教えてくれと頼まれました。その友達が納得するまで必死になって教えていて自分の時間がなくなってしまい、焦ってテストを受けたら何と、数学だけが100点でした。友達に教えているうちに自分が中途半端に理解していたところがしっかりと理解できてしまっていたのです。それからはとにかくどんな教科でも友達に教えまくっていました。それが自分の試験勉強の時間を大幅に減らし、しかも自分自身の得点を大きく伸ばす第一の方法だということがわかったからです・・・・。


頭がいいから

偉いんじゃあない

―何のために勉強するの?―

時間があって、久し振りに「3B組金八先生」の再放送を見ていたら金八先生がこんなことを言っていました。「人間は、頭がいいから偉いんじゃあない、足が速いから偉いんじゃあない、一生懸命やっているから偉いんだよ・・・・。」

塾の勉強でも同じことが言えると思います。『その問題が解ければそれでいい。』『成績が上がればそれでいい。いい高校に入れればいい。』・・・そんなことが全てではないはずです。また、それだけを考えている人は、それ以上は大きくは伸びていかないと思います。塾で勉強しながら、自分がつっかえていたところが少しわかってきて、やり方が少し判ってきて、そして自分に自信がついてきて、塾以外のところでも自分からどんどんがんばれる気持ちがついてきて、それが続いていけば、その人はぐんぐん伸びていくはずです。

わたしの教え子の例を一つ挙げましょう。

彼女は中学に入学して、初めてバスケット部の練習に来たときのことです。ランニングシュ−トの練習のとき、ボ−ルをもらうときの第一歩を思いっきり大きくしなさいといったらバランスを崩して転びそうになるくらい踏み出して上級生に笑われていました。一見不器用でしたが彼女はどんなときでも手を抜くことが出来ない生徒でした。練習でも、ぶっ倒れる寸前までがんばっていました。バスケット部で体育館の周りの雪かきをしたときもそうでした。一緒にやっていた先生(私)がいなくなるとみんなはとたんに手を休めておしゃべりを始めるのですが彼女にはそれが出来ませんでした。そして上級生から推薦されてキャプテンになってしまいました。

 一見要領が悪くて、付き合いが悪いようにも見えますが、彼女は3年間すべての面でそのやり方を通していきました。

勉強の面でもそうでした。すごく頭が切れるような感じではありませんでしたが、授業中も真剣さがいつも伝わってきていました。体育大会(運動会)でも、音楽会でも、いつもクラスから一番頼られる人間にいつの間にかなっていました。

 そして3年生の成績では、どの科目も文句なしに『5』がつき、推薦で立川高校に進学しました。高校でも3年間バスケットをやり、現役で中央大学の法科に合格し弁護士を目指してがんばっています・・・。

よく塾の生徒からも、「何でこんなこと勉強しなければならないの?方程式が解けるようになったら将来の仕事に役に立つの?

僕は、英語関係の仕事をしたいとは思っていないから英語の勉強なんてしなくていいでしょ?・・・・」などと言われます。

 でも、今ひとつ一つのことに一生懸命がんばっていくことが大人になってさまざまな困難にぶつかったときにそれを乗り越えていく力になるのだと思います。ちょっとばかりカッタルイからといって手を抜いてしまうと自分がなりたい仕事にもつけなくなるし、やりたいことも出来なくなると思います。無駄な努力、無駄ながんばりなんて絶対にないと私は思っています。

 答えを見つけよう
 私は中学時代、なんで掃除をするのかわからなくて、よく掃除をさぼって一人で罰当番を何回もやりました。(罰は正々堂々と受けるのが私の主義でしたから…)
 ・・・・・・そして、私は中学の教師になって20年くらいたった頃の大掃除の時冗談半分みたいに『今日はこの教室を
学校で一番きれいにしようぜ!』って、自分が担任しているクラスで呼びかけたら、半分以上の生徒が賛成し、さっそくたわしとクレンザーと雑巾で床を端から磨きはじめました。壁も、窓も、蛍光灯の上まで・・
他の当番場所だった生徒も戻ってきて、全員で一時間以上かけてピカピカにしたとき、みんなで大声を上げたいくらい感動しました。
 中学時代、なんで掃除をするのかわからなかった答えを私自身が30年くらいたってやっと見つけ出したと感じました。
 なかなか見つけられない答えでも、いつかはきっと見つけられると思います。